2007年08月05日

「守破離」

「守破離(しゅはり)」とは、修行における三つの段階をあらわす教えで、
能の世阿弥が「風姿花伝」という書に書いたものだそうです。
その後、主に剣道などの武道の世界ではよく言われているとか。


「守」:師の教え(=型)を忠実に守り、体現できるようにする。

「破」:型を体現できるようになったら、それを洗練させて自分なりの
    発展を試みる。

「離」:さらに前進させ、型を離れて自分独自の世界を創り出していく。


むろん、ここまでくればOK!というものではなく、その後も常に修行、
精進を重ねていかなくてはなりません。


で、何でこれを持ち出したかと言うと、前回ご紹介した
個性を捨てろ!型にはまれ!にもこのことが出てきて、思い出したから。


研修の仕事をしている中で、よく言われることがあります。
いわく、
「研修受けたってできるようにはならない」。
「理論ばかりで実践的じゃない」。
「そんな方法論なんて、そのままやってもやりづらいだけ」。


こちらの教え方やテキストなどにも改善の余地があることは認めるとして、
それでも受講側にも意識の問題があるのではないか、と思われることも
少なくありません。


研修というものはここで言う「型」を教えるものです。
つまり、「守」の第一歩、ですね。あくまで第一歩。

しかし、教えただけでは「守」にもならない。
受講者がそれを体現してみて、初めて「守」になる。


研修で教わってきた。だからまずやってみよう。
やってみたらできた。なるほど、こうすればいいんだ。
じゃあ次に、さらによく出来るようになるためにはどうしたらいいだろう。

そうなって初めて、次の「破」、そして「離」へと進めるわけです。


少なくとも、私が入社した十数年前は、OJTがもっと自然に行われていて、
先輩から後輩への「型」の継承がスムーズに行っていたように思います。
なのに今は、みんな忙しすぎて余裕がなく、それどころじゃない。
自然と継承もできなくなるし、若い世代は肝心なところを知らないまま
見よう見まねで形だけ作っていたりするし、方法論を知らない人も増えている。


それって、「守」を無視して一足飛びに「破」「離」に進もうとするようなもので、
実際それがうまくいかないからトラブルが増えているんじゃないのか、
と思えて仕方ないです。


方法論を学ぶ、それを実践してみる、ということを軽視しないでほしい。
学ぶだけでは、知識にはなるけど何も変わりません。そりゃ当たり前。
でも、学ぼうとしないのは論外です。
学ぶことで、やみくもに一から始めるよりも、いいやり方で効率よく
できるようになるのですから。


まず学ぶ。学んだことを、自分の行動を変えるためのヒントにして、
ちょっとでも昨日の自分より前進しようとする。
そこに、自分の経験がプラスされ、昇華されて自分の「型」になるのだから。




posted by nyoro at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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