2007年12月30日

今年の総括をしてみる

2007年もそろそろ終わりに近づいてきました。
もしかするとPCを立ち上げるのは今年最後になるかもしれないので
今年の総括をしてみたいと思います。


一言で言えば、今年は

目標に近づくため努力し、成果を出した年

と言えるかなと思います。


これを書く前に、今年のニュースを洗い出してみたら、12件出ました。
うち公開するのははばかられるものを除いた7件について、
総括してみたいと思います。


1.キャリアカウンセラー資格取得

やっぱり今年の筆頭はこれでしょう!
昨年の今頃は、この勉強を始めることに決めたものの
「本当にやれるのかな〜」と半信半疑でした。
でも実際に3ヶ月の講座に通って試験に合格したわけです。
士業などに比べたら難しい試験ではないですが、自分の今後に
つながる試験でもあり、達成したことには違いありません。

ここでとても有意義な出会いもあり、本当に良かったと思います。


2.娘が幼稚園に入園

一見単なるプライベートなことですが、働く母親としては
これはとってもインパクトのある出来事でした!

我が家の(正確には夫の)勤務形態では娘は認可保育園には入れない、
いわゆる待機児童となることが分かったため無認可保育園に入れ、
4歳になったのを期に幼稚園に入れたのです。

しかし、想定してはいましたが共働きで幼稚園は本当に厳しい!
毎日の送り迎えに加えて当番や係もあり(私は納涼祭係でした)、
私の母の協力を得て、何とか回している状態です。

でも、娘が本当に幼稚園を気に入って、毎日楽しく通っているので
決心して良かったと思っています。

残念なのは、私が働いているので、お母さん同士の交流をほとんど
持てないこと。でもあまり深入りしてもそれはそれで大変そうなので、
これはこれでいいかなと思っています。


3.セルフコーチング・アファーメーションの実践

昨年の12月から、「いっしょにIKUJI」という企画に参加して、
セルフコーチングをこのブログ上で行いました。

予定よりも1ヶ月遅れになったけれど、皆続々と終了。
一人だったら絶対にくじけたと思いますが、一人じゃなかったから
頑張れました。
メンバーの方々とも良い関係ができました。
先日は、忘年会もやりましたよ!

実際、このコーチングをやってみて、自分の考え方の悪い部分が
変わったり、変わるまではまだ行かないけれども悪い方向に
行きそうな時に「あ、今は悪いほうに向かってる」と気づいて
軌道修正をかけたりすることができるようになりました。

やってみて終わりではなく、定期的に見返して復習し、何度も何度も
自分の中にインプットすることが大事なんだなと思います。

そして、アファーメーションも続けています。
ゆっくり、だけど確実に私の中の何かが変わってきています。


4.ボイストレーニング開始

自分の声の出し方が嫌いで、肉体的にも辛くてすぐ喉をつぶして
しまうため、ずっとやりたいと思っていたボイストレーニングを
やっと始めることができました。

今は5ヶ月経ちましたが、効果は徐々に出てきていますよ!
冬は鼻が詰まりやすいので、いい声を出しにくいのが難ですが・・・


5.セミナーのメンターを務める

この記事で書いたように、以前通ったセミナーのメンターを
させていただき、先週終了したところです。

キャリアカウンセラーとしての訓練機会を求めてのものでしたが
正直なところ、物理的・精神的に大変な面もありました。
自分の未熟さをひしひしと思い知らされることにもなりました。
(反省する機会が多かった分、訓練にはなったのだと思います)

でも、同じ場にいても立場が違うとこんなにも見えるものが違うのか、
と驚くことも多く、大変ためになる機会でもありました。
最後には主催会社の社長様(有名な方です!)と直接お話する
機会にも恵まれ、いい1年の締めくくりになりました。


6.貯蓄の見直し

結構今まで貯金はしてきたほうですが、その時その時のブームに
踊らされて、あまり投機的商品には手を出さないものの、
今となってはいまいちな商品ばかりだったんです。

今回、よいファイナンシャルプランナーさんに出会えたため
お力をお借りして全面的に貯蓄計画を見直しました。
すでに成果が出始めていてびっくりです。今まで損してました(笑)
やはり餅は餅屋、知識のいることはプロの力を借りるべきだと
改めて思いましたね。


7.電子ピアノを買ってピアノ再開

私の個人的なこととしては、これが一番嬉しかったなあ。
お正月があけて間もない頃に新春セールにて電子ピアノを購入。
先生につくことは、諸般の事情で今年は見送ったのですが、
弾いたことのなかった曲を続々開拓しています。

若い頃と違って(泣)、ちょっと練習をサボると指が全然動かなく
なるのが難ではありますが、好きなドビュッシーの「月の光」を
弾けるようになったのが嬉しいです。
現在はショパンの「革命のエチュード」に挑戦中。


---


こんなところが今年の総括です。
なかなか盛りだくさんの1年だったなあと思いますが、
自分のやりたいことを色々とできて有意義な年でした。

で、今年の最初の日記を見てみたら、こんな目標を立てて
いたのに気づきましたよ!!

・昨年は、広く浅く自己啓発をしていたので、
 今年は自分が目指す分野にフォーカスを当てて、
 昨年より「狭く深く」勉強を続ける。
 (狭くしたくはないんですが、時間は限られているので)
・上記について、勉強だけでなく実地の機会を持てるようにし、
 来年につながる活動をする。
・プライベートも大切にし、仕事に比重が偏らないようにする。
・ピアノを再開する。



なななんと、達成してます!! 

自分でもびっくりだー。
やはり宣言することって大切ですね!


来年の目標も、達成するために投稿したいと思います。
ただし来年になってからね〜。
(まだ頭の中でまとまっていない、というのが正しい笑)


それでは皆様、よいお年をお迎えください!


 
 
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2007年12月24日

「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」 トリイ・ヘイデン

シーラという子―虐待されたある少女の物語 
「シーラという子―虐待されたある少女の物語」

タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語 
「タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語」

障害児教育の専門家である著者がシーラと言う女の子についての
記録として書いた本です。

「シーラという子」では、6歳でありながら年下の男の子を
焼き殺そうとした罪の咎で、精神病院のベッドが空くまでの条件で
著者のクラスに来た被虐待児シーラが、著者とのふれあいや教育に
よって開花していく様が書かれています。

「タイガーと呼ばれた子」は、その後7年後に再会したシーラの変化に
驚き翻弄される著者の姿を描いています。


日本でも、児童虐待、ワーキングプアなど様々な問題がありますが、
犠牲になるのはいつも子ども というところにやるせなさを感じます。

子どもは環境によって作られるのだ、
その環境を与えてやるのは大人の責任なのだ、

ということをつくづく思い知らされます。


であると同時に、子どもにそういう環境を与えてしまっている大人も
好きでそうしていると言うよりは、何かしらの問題を自分自身が
抱えていて、それを解決できないでいる
 からこそ結果的に子どもに
悪い影響を与えてしまっているのだ、ということも真実です。


教師や心理学者などは、彼らの抱えている問題に対して手助けしたり
診断したり治療したり、ということはできるかもしれません。
でも、家に帰したらまた同じことが待っている、と分かっていても
帰さざるを得ないのです。

よほどのことがなければ、家族の問題と言うのは家庭の中で解決の
主導権を持つもの
であり、なかなか他人は踏み込むことが難しいです。


また、家族は永続的に関係が存在するわけですが、他人がそこまで
長期にわたって関わり続けることも現実としては難しいです。


現在の日本では、児童虐待の通報義務が課されたり、児童相談所の
権限が強化されたりしてきてはいます。
少しずつ、社会の意識も変わり、表に出てこなかった児童虐待が
だんだん公に出て来やすくなっているのは進歩だとは思います。
(ほんの10年前には、「日本には性的虐待がない」と国際学会で
語った精神科医がいるというのですから驚きです)
でもまだまだ子どもたちを救えていないとも感じます。


私も人の子の親として、こういう問題は本当に人事ではないのですが
それでもよそ様のお子さんにいったい何ができるのだろう? と思うと
暗澹たる気持ちになります。


以前、近所のマンションで虐待と思しき子どもの泣き声と訴える声が
長時間続き、たまりかねて警察に通報したことがあります。

正直本当に虐待かどうかは分からないし、かなり迷ったのですが、
子どもの泣き声がこれだけの時間続くと言うこと自体がおかしい、と
いう思いが決心させました(結構勇気が要りました)。


結局どこの家か特定できなかったのですが、警察の方からは
「これからもこういうことがあったら110番してくださいね」
言っていただけたので、間違ったことはしなかったんだなと
思えました。
(他人でも虐待を発見した場合には通報義務があります)

家庭のことは家庭に任せるのが本来だとは思いますが、家庭そのものが
機能しなくなっている現代においては、ある種の「おせっかい」も
あえてする必要があるのかもしれません。


それはまたなかなか骨の折れることではありますが、自分ができること、
自分が今するべきだと思えることについては、物怖じせずにして
いきたいと思いました。
子どもを一人でも救うために。

posted by nyoro at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

起きつつある変化

最近落ち着かない毎日を送っている理由のひとつに、
仕事上の変化が訪れようとしている、ということがあります。


今はまだ確定していないのではっきり書けないのですが、
来年は私の目指す方向に近づくための、いい修行の年になりそうです。
昨年あたりから種を蒔いてきたことが、やっと少し形になりそうな
気がしています。


後から、「結果的にあの時変化があった」ことに気づくことも
ありますが、今、自分に変化が起きつつあるその瞬間瞬間を
味わっているという体験も、そうそうしょっちゅうあることでは
ありません。
なので今は、落ち着かないながらも次のミッションに向けて
武者震いしつつ、準備を進めているところです。


これだけでは何がなんだか分かりませんね。すみません。
確定したら、またお知らせできると思います。

今日はこれにて。

 
 

posted by nyoro at 21:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

「斉藤さん」 小田ゆうあ

斉藤さん 1 (1) (オフィスユーコミックス)


最近あまり難しいことを考えられなくて本の紹介もしておりませんが
今日は今気に入っているマンガのご紹介です。
現在は3巻まで発売中。


斉藤さんは一児の母ですが、非常に強い正義感を持っていて
悪いことは悪い、おかしいことはおかしい、とはっきり言える人。

はっきり言い過ぎて暴力を振るわれてしまったりしても、
それであきらめるのではなく、護身術を習ってまで貫こうとする。
周囲からうっとうしがられて孤立することもあるけれど、
それでも貫こうとする。


「斉藤さん怖くないの?」と幼稚園の同級生のママに聞かれ、
彼女はこう答えます。


「怖いわよ。でもそのままおいとくほうがずっと怖いよ。
 悪いことを悪いと思えない人をほっとくほうが怖い。
 そんな人たちばっかの社会が自分の子どもの未来だなんて、怖い」



今、日和見な人が増えている中で、これだけはっきり言えるのは
すばらしい。
本当は自分も言いたい、でも勇気がない。危ない目に遭いたくない。
面倒なことに巻き込まれたくない。
私も含め、そう思って言えないでいる人は多いと思います。

でも、本当は言いたい。
その思いを、斉藤さんは代弁してくれているのだと感じます。


私も、一個人として、一社会人として、幼稚園児の母として、
血管がぶちきれそうな思いをすることもあります。
そういう時にわりと注意をしたりしていた時期がありましたが、
未熟ゆえうまく注意できなくて口論になってしまったりすることもあり
最近はあきらめてしまっていました。


でも、本当はおかしいことはおかしいと言いたいんだよなあ。
娘の未来のためにも、あきらめたくないんだよなあ。
うまく言えるようになりたいなあ。そう思います。


ちなみにドラマ化されるみたいですね。見てみようかな。

 
 
posted by nyoro at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

体験談を求める人たち

先だって行われたトライアル研修は、若干のトラブルはあったものの
成功裏に終わったと言えるでしょう。


今回の研修は、8割くらいが演習(個人演習+グループ討論+発表)で
残り2割が講義でした。
講義よりも演習が多いほうが研修としては効果があるし、受講生からも
好評であることが多いので、研修の構成としては良かったのだと
思っています。


しかし、アンケートを読む限り、若干の違和感を感じずにはいられま
せんでした。
というのは、「体験談をもっと聞きたかった」といった論調のものが
多かったからなんです。
(私からすれば、講師の方は講義の時間を削ってまで体験談を十分に
お話してくださいましたよ。それにも関わらず、ということです)


もちろん、経験豊富な講師や、全く違った業務をしている他の受講生と
議論することで、自分の視野が広がることは間違いないです。
それは否定しません。


ただ、講義の部分でもかなり重要な方法論やエッセンスが説明されて
いたのですが、そういった部分に対する興味と言うのがほとんど感じ
られないのです。
本来知っているべき知識を知ろう、という意思が感じられない。
それよりも、やたら人の経験談ばかりを聴きたがる。
そんな風に感じられました。


正直、経験談「だけ」を聴きたいなら、研修じゃなくてもいいんじゃ
ないの?と私は思ってしまうわけです。
そんなのは、周りにいる20年選手くらいの先輩や上司をつかまえて
話を聞けばいろいろ出てくるはずではないですか?


それが、まるで飢えた狼のように「体験談、体験談」と言っている
様子を見ると、ちょっと度を過ぎているようにも感じられて、
普段そういう機会ってなかなかないのかなあ?
「OJTの崩壊」とか「コミュニケーションの衰退」なんて言葉と
もしかしてつながってたりするのかなあ、と思ってしまったのです。



むろん、昨今の短納期・低コスト化などを受けて、現場の技術者たちに
対するプレッシャーは強くなる一方です。
しかも、こういったエンタープライズ系システムを扱う会社では、
類似事例はあっても全く同じケースはなく、「こうすれば絶対いける」
というものもない訳で、そこを救えるのは先達の体験談なのかも
しれませんけれど。


単に私が飛躍して考えすぎているだけならいいのですが。
机上の知識だけに囚われすぎることもなく、経験談だけに偏ることもなく、
バランスの取れた知識を持つ技術者になってもらいたいなあというのが
私の願うところですので。
 
 
posted by nyoro at 21:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月03日

人財育成について考える(5) 〜組織と教育〜

ちょっと最近プライベートでバタバタしてまして、間が空いて
しまいました。

そんなところに、友人から教育と経営、組織の関係性について
考えを聞かせてくれという話があり、そこで書いたメールの返信を
こちらにも残しておこうかと思います。

前に書いたことと重複している部分もあるかと思いますが、
それはそれだけ強く思っていると言うことで。



教育は当然企業の戦略とリンクしているので、まず戦略がちゃんと
あってそのためにどういう人材がどれくらい必要なのか
、という点を
きちんと企業が認識しないと、だた漫然と研修をしてもだめなのだと
思います。

当社もそういう傾向がなきにしもあらずなんですが、まずそこで
つまづいている企業は結構あるのでは?という気がしています。


また、教育と言うのは数字では測れない部分が大きいなと思います。
利益については、それぞれ四半期、半期、通期などでいくら、と
目標を決めてそれに向かって・・・という形になると思いますが、
教育はもっとロングスパンで考えなくてはいけなくて、そういう
意味ではすぐに売り上げに反映させるというのは難しいのではないかと
思うし、売り上げが上がったのは研修のおかげだとも言い切れない
という部分があります。


そういう意味で、費用対効果を数字で測定するのは結構難しいかなと。
(ROIとか?何か計算方法があるのかもしれませんが、そこは不勉強で
分かりません。本来測定すべきものなのかもしれないし)


3年くらい経って振り返って、会社の風土が良くなってきたなとか、
社員のスキルが上がってきたなとか思えれば、それで成功と言うか。
もちろん、始めるときに「3年後にこうなっていたい」という青写真は
必要ですが。


もうひとつ、教育は「投資」であるという考え方を
企業がどのくらい納得して受け入れられるかです。

投資っていうものは、必ずリターンがあるとは限らないけれど、
将来のためにやっておかないといけないこと
だと思います。


さんざんお金をかけて教育したけどやめられてしまった、なんて話も
ざらにあるわけですが、だからやらないと言うわけには行かないのが
教育=投資なのだと。


当社の社長が言っていた言葉でなるほどと思ったのが、
「イチローですら10割打者ではない」
と言う言葉。だからムダになることを覚悟の上であれこれ手を打って
いかないといけない、という意味です。
会社としての施策にはこういった要素が多いと思いますが、まさに
これが教育にも当てはまるなあと言う気がします。


ただ、もうひとつ数字の面で考えておかないといけないのが、
研修を受けさせると言うことは、研修の費用がかかるだけではなく、
その時間にその社員が稼いでいるはずの利益がマイナスになる
ということです。

ですから、現場にとっては研修は「よけいなこと」と取られる場合も
多いです。
そこをいかに、現場に損をさせない形で担保してあげられるかは
会社の責任だと思います。
研修費用を現場持ちではなく人事で負担するとか、研修を受けた時間数
を評価に反映するとか、でしょうか。

「研修を受けること」が、社員にとってプラスに働くように持って
行かないと、なかなか研修を積極的に受けようと言う風土にはならない。
そんな風に思っています。
 
 
posted by nyoro at 23:56| Comment(4) | TrackBack(0) | キャリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月21日

他者の時間を奪う人たち

昨日は研修のキャンセルについて書きましたが、
今日は遅刻について書こうかと思います。

遅刻する人、多いです。本当に。
遅刻者ゼロで始められる場合の方が少ないくらい。


むろん、色々な制約や事情があるでしょう。
電車が遅れることもあれば、午後からの研修なら
その前の用事が押してしまうこともあると思います。
それは私にも経験があるし、仕方がないことだと思います。
(かといって、遅刻してきても悪びれず堂々と入ってきて
ほしくはないですが)


が、社内研修をしていると、いつも同じ人が遅れるな、
ということが分かってきます。
そういう人は、最初の開始時刻だけでなく、休憩後なども
毎回毎回遅れて戻ってくることが多いです。
結局のところ、時間にルーズということなのでしょう。


昨日も、少なくない人が朝の開始時刻が過ぎてから
「のんびりと」やってきました。
つまり、「自分が遅刻して、他者に迷惑をかけている」と
いう意識がない
のです。

昨日は受付があったり、最初にアイスブレークとして
受講者同士の自己紹介から始まるため、さすがに始める
ことが出来ず、講師の方をお待たせすることになって
しまいました。
その分もちろん、研修の終了時間も後ろに延びました。


そこで、昨日の終了時に、「明日は時間通りに始められる
よう、早めに来るように」ということを申し伝えました。


しかし、今朝もやっぱり数名が遅刻。それも、予測はして
いましたがやっぱり昨日と同じ人たち。

今日は待たないことにしたので、時間通りにドアを閉め、
講師の方に開始をお願いしました。
遅れて部屋に入ってきた遅刻者は、さすがに慌てて席に
つきました。


IT業界自体が、時間にルーズなことは間違いないと常々
思っています。
技術志向が強く「成果さえ上げればいいだろう」と、そもそも
勤怠を軽んじる人もあれば、プロジェクトが多忙でだんだん
夜型になり、朝の出社時間がルーズになる場合もあります。

客先などでは、遅刻者に対するクレームもよくあります。
仕事以前のところで受けるクレームは、最も恥ずかしいと
私は思っています。



私は早め早めに動く人間なので、こういうルーズな人たちの
心理というのは正直分かりません。
そういう人たちにすれば、「たった一分くらい何をカリカリ
してるの」ということになるのでしょうが、そういう人は

人を常に待たせ続け、
相手の時間を奪い続けている


ということに多分気づいていないのだと思います。


自分一人で完結することであればどうぞご自由に
遅刻でも何でもしてください、と思いますが、
多くの場合は、他者に迷惑をかけることになるのでは
ないでしょうか?

仕事以前のところで信用を無くすようなことになるのは
もったいないのでは、と思うんですが・・・。


心当たりのある方は、ちょっと考えてみてください。
posted by nyoro at 22:21| Comment(6) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

研修のキャンセル

今日と明日は社内研修の実施。
といっても今回は私は講師ではなくて、外部の研修ベンダーに
お願いしている研修です。
私は事務局として、ベンダーとの折衝や受講者管理などを
担当しています。


毎回研修の度にあることではありますが、運営側として
頭が痛いのがキャンセル問題

今回は、定員20名の研修で、一旦は22名の応募が
あったのですが、直前になってキャンセルが続発し、
結果キャンセルは7名。
うち2名は代理出席があったので最終的に17名の出席に
なりましたが、結構今回はキャンセル率が高かったです。
(2日間研修だからかもしれませんが)
ベンダーには20名分で支払いをしているので、3名分は
無駄になった計算になります。

また、チーム編成を必要とする研修なので、今日の朝まで
変更が相次いでバタバタした感じにもなりました。


キャンセルの理由は通常「業務都合」が多く、そう言われて
しまったら、それ以上こちらとしては追及はできません。
実際、トラブルが起きたりする場合もあるでしょうし、
何とか出席したいと思ってぎりぎりまで頑張ったんだけれども
どうしても片付けなければいけない仕事が片付かなかった
のかもしれません。

その理由や心理までは、こちらでは本当のところは
分からないので、先方が述べる理由を信用するしか
術がありません。


が、そもそも研修にあまり時間を割かないのが
企業風土でもあり、現場が研修を軽く考えているフシも
ないではないのです。
私が現場にいたころも、特別キャンセルしなければ
いけないほど忙しくないにも関わらず、「めんどくさいから」
というノリで直前になってキャンセルする人もいました。
代理の方を出してもらうだけでも全然負荷が違うのですが、
そういう人は代理の人を探してくれるまでもありません。


お金を自分の部署やプロジェクトで払って参加する
外部の研修は、「参加しなければもったいない」気持ちに
なりやすいですが、社内研修というと、「お金がかかっている」
という意識を持たなくなる人がいるのは残念です。


社外研修であっても、自分の懐は痛んでいないし、
「そもそも俺が行きたくて申し込んだんじゃない、
上司に行けと言われたから仕方なく来ているんだ」という
態度の人も残念ながらいるわけです。


今回のような外部ベンダーのオンサイト研修に限らず、
私がやっているように社内講師による研修もありますが、
どうも研修というものは「受けるべきもの」という認識を
持ってもらうのが難しいと常々感じています。

社内的には「必須研修」とされていても、毎回集客に
苦労しますし、自分が対象になっていても、あの手この手で
逃げまくる人も一定の割合で存在します。


研修というのは、すぐに効果を測るのが難しいので、
どうしても積極的に投資をしたり時間をとったりする気に
なれない、ということはあるのでしょう。

が、どうしても仕方ない場合は別として、直前になって
キャンセルするのは、マナーの問題としても避けてもらいたい、
と運営側としては強く思います。
posted by nyoro at 18:43| Comment(3) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

声はココロとつながっている

ボイストレーニングを始めて4ヶ月目。
何かが、少しずつ変わっていっているのを感じています。

一番感じるのは 「顔の筋肉がよく動くようになった」 こと。

私はわりと「仏頂面」に見られることが多いのですが、
レッスンを受けている間鏡を見ていると、

自分では笑っているつもりなのに、実際には笑った顔に見えていないことが多い

ということがよく分かり、結構ショックを受けました。
そりゃー仏頂面って言われるわけだなあ・・・。
年齢的にも、だんだんと口角が下がって来やすい年代になったし。


でも、最近は口角を上げることが苦ではなくなってきました。
ややオーバー気味に上げるくらいでちょうどいいのだ、ということも
分かってきました。


また、とてもとても実感できるのが、タイトルにも書いた

「声はココロとつながっている」

ということ。
誰でも覚えがあると思いますが、自信がなければ声が小さくなったり
しますよね?

ボイトレを受けていると、そのメカニズムが分かってきます。
どういう心理状態のときに体のどこがどのように動くのか、
あるいは動かないのか、
ということがだんだん把握できるようになります。


ということは、

「こういう声を出さなければいけない」ということを意識することで、
体のどの部分をどう動かすべきかが分かって来る


ということです。
さらには、それが意識しないでできるようになるレベルにまで
持っていけるようになればもっといいわけです。


これができるようになれば、自信がなくてもいい声が出せるように
自分をコントロールすることが可能になります。

ボイトレは「体育会系の世界ですよ〜」と先生がおっしゃっていますが
まさに、

自分の体を、「声」を核にして
どのようにコントロールするか、
という訓練


だとつくづく思います。
posted by nyoro at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

渋井真帆さんの講演に行く

先日、日経新聞主催の

「女性のためのキャリア&マネー講座 in 九段下」

に参加してきました。
講師は、株式会社マチュアライフ研究所の渋井真帆さん。
経済を易しく読み解くことについてはこの人の右に出る者はいない!
という方ですね。
「女のたしなみ経済塾」「女のたしなみ やわキャリ塾」など、
非常に興味があるのですが、タイミングが合わずなかなか参加
できないので、いい機会だと思って申し込みました。

(会場にはすごい人数が来ていましたが、どうやら抽選だった模様)


こういう場に行く時は、なるべく前の方に座って、講師の方から
ちょくせつ目線をもらったりオーラを感じたりしたいので、

早めに行きました。そして3列目の席に着席。
実際、講演中にビシバシ目が合いましたよ!間違いなく!
残念ながら質問で指名されるまではいきませんでしたが。

渋井さんはロングヘアをカールして、金ラメのアンサンブルに
白いパンツ、というとてもゴージャスで素敵なお姉さまという
いでたち。

そして、・・・とっても早口!
なのに、とっても聴きやすい。

それは、彼女自身「早口だけど聴きにくくないでしょ?それは
日経新聞モードで話しているからなんですよ」と言ってたなあ。
単に早口なだけではなく、時間制限の中少しでも多くのことを
分かりやすく伝えようとしてくれているのだと感じました。


講演の内容は、彼女が翻訳した
チャンスがやってくる15の習慣―Skill With People
チャンスがやってくる15の習慣―Skill With People

に基づいたものから日経新聞の読み方についてまででした。
(日経新聞のセミナーだからってのもあるんでしょうが、日経新聞の
実物も配られて、講演中に使われました)


以下、トピックス。

・学校のルールは平等、社会のルールは公平
 公平とは、むくわれる努力をした人だけがむくわれること
 だから、むくわれる努力を研究しろ、未来の自分に誠実であれ。

資格や英語力、学歴などはすべて「稼ぎ力」の種でしかない
 蒔いて咲かせることに意味がある。

・うまくいかないのが当たり前、その時に自分にダメ出しするのは
 自分にあまりにも失礼


・社会には選択の自由がある。努力やスキルだけでは報われない。
 人を魅了する力が欠かせない。
 
・好かれる努力はしてはいけない。媚が生まれ、軽んじられる元。
 そうではなく、必要とされる努力をする
 「離したくない、大切にしよう」と思ってもらえるように。

・説得とは、自分の望む結論に相手が自ら陥ってくれるように
 情報を提供すること

人は自分にしか興味がない、と知っておく。
 だから、他人にも自分に興味を持ってもらいたい。そのために努力
 する。これは根本的な欲求なので、満たされないと鬱になる。

「I see me」から「I see you」へ
 相手が楽しそうなのを見て自分も楽しいのが大人。
 大人でないと社会でHappyになれない。社会は大人が作ったものだから。

個人は企業から影響を受け、企業は社会から影響を受ける
 日本人は公教育でこれを教わっていないので、精神的社会的自立が 
 できていない。それでも経済的自立ができるのは先進国では日本だけ。

・会社の売上高、利益高をすぐに言えるようにする。
 これが「会社をI see youしている」ということ。

最初に教えるべきお金の教育は「税金」。なぜなら税金は一生
 払わないといけないから。
 次に、お金を稼ぐこと、集めること。
 会社の上層部は、社員があまり賢くなると困るから、こういうことは
 わざと教えない。

経済とは、「人間の欲望と行動の結果を数値化したもの」。
 日経新聞とは「世界経済欲望ドラマ新聞」。

言論の自由=フィルターの自由。どんなフィルターを選ぶかで
 人生が変わる。


・欲望ドラマを読み解くには、以下がカギ
 −登場人物の理解
 −彼らはどのような欲望でどのような行動をしているのか
 −その結果他の登場人物はどのような影響を受けるのか

・全部の記事を読む必要はない。記事は毎日つながっているので、
 過去からの記事を関連づけて読めるようになるとシナリオが作れる

・国は日本、アメリカ、中国
 企業は自動車、電機、通信、銀行
 人物は日本人、アメリカ人
 が重要人物。波及効果が大きいところに注目。

・自分の考えは「日経新聞モード」で話さなくてはならない。


私は結構努力はしているほうだと思いますが、報われない、無駄な
努力をしてはいないか?と改めて自問自答。
報われるためには「目隠しを取る」ことが必要なんだそうで、それは
自分だけでなく企業や社会までを「I see you」できるようになる、
広い視野を持てるようになること

と理解しました。


むむ・・・苦手な分野ではあるけど、やっぱり必要なんだなあ。
どうせなら「報われる」努力をしよう。
posted by nyoro at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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